三之助 みんなで咲かせようまちづくりの花!しながわ花海道

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  • Опубликовано: 4 авг 2024
  • 三之助「今日もご覧いただきましてありがとうございます。噺家の柳家三之助でございます。今日はね、皆さんご存知、しながわ花海道に来ていますよ。勝島運河の護岸、ずーっとこの2キロあまりが花畑になって、広がっておりまして。皆さんの憩いの場となっておりますなあ。だけどね、こんだけ広いと、手入れったってなかなか大変だと思うんですよね」
    永尾「そうなんですよ」
    三之助「ねえ、そうでしょ」
    永尾「お分かりいだけますかね、この大変さ」
    三之助「大変だもん、これ」
    永尾「何が大変かというと、まず水やりが1番大変だったですね、当初は。でも、地域の人たちが非常に積極的に、自分たちのまちをきれいにしようということで。協力的なんですよ。だから、すごくありがたい、助かっています」
    三之助「ご紹介しましょう、NPO法人・しながわ花海道の総務理事でいらっしゃいます、永尾章二さんでございます」
    永尾「永尾でございます。初めまして、よろしくお願いします」
    三之助「初めましてって言ってるけど、この番組に何度も出ているんですよ。この皆さんでつくっている花、大変ですね」
    永尾「そうですね、この花海道プロジェクト、2002年からスタートしましたが、春は菜の花、そして秋はコスモスが1番最初の頃からスタートいたしましてね、そのあといろいろ発展をしております」
    三之助「なるほど、お話がありそうなので、いろいろと聞かせてください」
    永尾「よろしくお願いいたします」
    四季折々の花壇づくりで、まちにうるおいを与える「NPO法人 しながわ花海道」。
    この日は、コスモスの種まき。
    近隣町会の皆さんをはじめ、ボランティア、協賛企業の方々など、およそ400人が勝島運河の護岸にコスモスの種をまきました。
    花海道の誕生以来、22年間、毎年欠かさず行われているコスモスの種まき。
    今年も、熱中症対策をとりながら、無事に終了しました。
    秋に花開くのが、今から楽しみですなぁ。
    三之助「最初からこうやって地域の方がいろいろやってくださって始まったってことなんですか」
    永尾「地元の商店街、立会川の商店街と鮫洲の商店街が一緒になって、地域の活性化のためになんとかお花畑をつくって、賑やかにしようよということから始まった事業でございます。当初は商店街だけだったんですけれども、それがもう…輪が大きく広がりましてですね。組織もNPOになって。で、地域の町会、それから企業、小学校、この人たちが…大勢の人たちが参加するようになって。非常に大きなプロジェクトになってきております」
    三之助「なるほどね。で、花海道ができる前のこの辺の風景っていうのは、どんなだったんですか」
    永尾「はい、よく聞いていただきました。本当にここはですね、危険な場所」
    三之助「危険な場所?」
    永尾「そうなんです。街灯はないし、町場から離れている裏道ですから。もうとにかく地域の人たちも危険な場所ということで近寄らなかった」
    三之助「全然そういうふうに見えませんけどね、今ね」
    永尾「今はもう地域の人たちの憩いの場所、あるいは自慢できる場所という形に発展してきているんで。行政の方も非常に協力的で、街灯をつけてくれたり、水道をつけてくれたり、20年前に比べればもう雲泥の差がございますね」
    それでは、しながわ花海道の野口さんにも加わっていただき、花海道の3つの取り組み、
    「花」「海」「道」について伺ってみましょう。
    永尾「まずですね、ここにはもともと桜の木があったんですけど。こちらの方は種類的には大島桜なんです」
    三之助「あ、ソメイヨシノじゃないんですね」
    永尾「ソメイヨシノじゃないんです。だから、大島桜…地味なんですよ。だけど、その対岸の方に、地域の篤志家…協力的な人がいたんですね。58本の桜の苗木を寄付しいただいて」
    三之助「それを向こうに植えたんですか」
    永尾「向こうに植えて、もう15年」
    野口「半分はソメイヨシノです。半分は八重なんです」
    三之助「ああ、じゃ時期もずれて。長く楽しめるんじゃないですか」
    永尾「そう、長く楽しめるんです」
    永尾「そしてまたユリの花。ユリの花を、一番最初、品川区と友好関係にある坂井市というところから、500個の球根をいただいたんです。今ではなんと1万5千本のユリの花が、6月には咲いて。もう壮大です。ユリの花というのは、来るお客さんの表情が違うんです。とにかく笑顔がすごいんです。素晴らしい笑顔なんです」
    三之助「いいじゃないですか。そういうまちになってきたってことだから」
    永尾「ありがたいことですね」
    三之助「さっきからここにいるとね…チョウチョすごい飛んでるね」
    永尾「そうですね」
    三之助「やっぱりね、花があるとチョウが寄ってくるってことでしょ。人だけじゃないんだ、寄ってくるのは。さっき看板見たらなんだっけ、幼虫に注意みたいな」
    永尾「横断注意」
    三之助「そう、横断注意って書いてあるから」
    野口「ジャコウアゲハの幼虫ですね」
    三之助「その幼虫がここを渡るんで、踏まないでちょうだいねってことでしょ」
    野口「さなぎになる時に…向こう側でさなぎになりたがるんですよね」
    三之助「ああ、この土手から向こへ渡るんだ」
    野口「向こうに行きたがるんですね。ジャコウアゲハの生息域っていうのは東京は少ないんですよね。で、我々は大阪の方とか姫路の方とも交流しながら、情報交換して」
    三之助「チョウ好きも集まってくる?」
    野口「チョウ好きも集まりますね」
    三之助「どんどん集まってくるね、いろいろなところから」
    三之助「続いての柱は「海」ということでね。もう、すごく近いですけど」
    永尾「当初から考えていたのは、この水辺でボート遊びができたり、水辺のイベントができたりっていうようなことを想像はしているんですけれども。なかなか実現が難しいですね」
    三之助「これはちょっと壮大な計画というか。皆さんがいつもそれを胸にしながらお花の手入れをされているってことも素敵だなって思いますね。じゃもう1つ行ってみましょうか。最後は「道」」
    永尾「道なんですけどね、道については…この東海道の道、地域の歴史はこちらの野口さんが専門家でございます」
    三之助「道っていうのは歴史っていう意味なんですか」
    野口「そうですね。基本的にはこの裏が…旧東海道になって。で、旧東海道・江戸時代という感じなんですけども。最近見ていただくと新たに外からいっぱい来るんですね」
    三之助「そうですね、最近住み始めた方」
    野口「ですから、そういうのもっとPRしたらいいじゃないか、ということで小冊子を作って配ったりして。あとは、小学校・中学校、それから一般の人を対象にして、「地域の歴史講座」って、偉そうなこと言ってますけども。そういうようなの開いてます」
    三之助「考えてみるとこの辺は、それこそこの150年200年ぐらいで海岸線もどんどん変わり、すごく歴史的には動いてるところですよね」
    野口「私も79歳ですけども、子どもの頃はここで泳いでたんです」
    三之助「そういう人がね、いてくれるといいんですよ」
    野口「この花海道。見ていただくと、ここは海苔の養殖場。護岸もこれは海苔の干し場をイメージした。だからそういうのも、知らない人はなんじゃこれはと。ただ四角いのがいっぱい並んでいる、で終わっちゃう。そういうこともね、知っていてもらうのも一つの…だからなんだってことはないんですけども」
    三之助「さすが22年やっているっていうね、ただただ同じことぐるぐるぐるぐるやっているだけじゃなくて、広がりってものがあることが分かりますね」
    野口「そうですね」
    三之助「強い味方が入りましたね」
    永尾「もう心強いですよ。本当にありがたい」
    三之助「皆さんご覧ください、この看板。ええ?頼んでないよ、こういうこと。でしょ?」
    永尾「勝手につくらさせていただきました」
    三之助「いや、来たらさ、この私たちの区画ができているんで。私、これからコスモスの種まきますんでね。まき方ちょっと教わったけど。えっと…ここまでまいたから、ここか。ちょっとずつね、間隔開けて。こうやってまいていけば良いんだ」
    永尾「何をするにしても、種をまく。将来的にも、種が大きな花になって、皆さんに喜んでいただいて、笑顔になっていただくと。種から始まりますから」
    三之助「花だけじゃなくて、地域のことも種まきだってことですね」
    永尾「そうです」
    三之助「あら、困っちゃったねこりゃ」
    永尾「ちょっと言い過ぎですかね」
    三之助「いいですよ。全然いいと思います。皆さん、ここの場所ね、今から種まきますけど。ずっとこのまんまですからね、感想とか言ってる場合じゃない、皆さんここへ来て、私のコスモス見に来てください。さて、次回のとっておきの品川、どうぞお楽しみに」

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